Vol.12 体を張った迫真の演技
午前10時、犬舎のそばに車が止まると、犬たちはしっぽを振り、そわそわします。これから街の中心部に移動し、大好きな「誘導訓練」が始まるのです。好奇心がおう盛な犬たちには、外の世界に触れられる楽しいひととき。しかし、訓練士にとっては、ひざを擦りむいたり、体を強く打ったりすることもある、体をはった訓練の始まりです。
人を安全に誘導するためには、自転車や看板など路上の障害物を的確によける能力が求められます。その際、盲導犬は、人の幅や高さを計算しなければなりませんが、これが意外と難しく、1週間ほど訓練しても出来ない場合、訓練士は、あえて電柱などにぶつかり「痛いでしょう」と体で訴えます。このとき、中途半端なぶつかり方だと犬に見抜かれるので、迫真の演技が必要。段差の前で止まらなかったときも転んでみせますが、慣れていないと足をくじいたり、擦り傷ができたりします。
誘導訓練の中で最も大変なのが「利口な不服従」を身に付けさせること。例えば、使用者が車に気付かず、道路を横断しようと「ゴー」と指示を出したとき。盲導犬は危険を察知し、指示を無視しなければなりません。訓練では、事前に打ち合わせていた職員が車を運転し、訓練士と盲導犬が、危うくはねられそうになる状況を作ります。その際「運転手と息が合わずにひかれたらどうしよう」などと、少しでもためらいがあると、訓練はうまくいきません。
16年前に担当したガーデニアは、頭の回転がとても速い犬でした。当時、私は新米訓練士だったこともあり、ミスを心配して足が縮こまっていました。すると、「ゴー」と指示を受けたガーデニアは「何かおかしいぞ。渡らない方がいいな」と考えて道路を渡ろうとせず、訓練になりませんでした。「ひかれたら、それまでだ」と開き直るのに数日かかりましたが、こうした訓練を続けてきて「犬は本当に賢いな」とつくづく思います。
賢いからこそ、体を張らなければ教えられないこともあります。若い訓練士たちは生傷をつくりながら、今日も一生懸命、犬と向き合っています。
(福岡盲導犬協会訓練センター元所長 桜井昭生)
※文中の人名、犬の名前は個人情報への配慮のため仮名とさせていただいています。